中学受験を振り返って

32期生(2025年卒) 受験生・保護者(父)

 エデュコ32期生の皆さま、中学受験お疲れさまでした。また、エデュコ32期生とその保護者を最後の最後まで支えてくださった先生方や事務の皆さま、大変お世話になりました。
  「受験体験記」は、受験に挑むにあたって保護者がいかに子どもと接してきたかを知る大変貴重なもので、受験期間中の精神的な支えともなりました。もしかしたら我が家の経験が後輩エデュコ族やその保護者のお役に立てるかもと思い、また、エデュコへの感謝の気持ちを僅かながらですが言葉に表しておきたい、娘が向き合った中学受験を記録に残しておきたいとの思いから、筆を執りました。


 4年前の次男の中学受験が終わったころ、娘は「次は自分の番」と思ったのでしょう、塾に通いたいと自ら言い出しました。塾探しをしている中でエデュコの塾選び説明会に参加し、エデュコの基本方針や生徒個人への目配りの細やかさに親目線で感銘を受けたことに加え、テッカ(講師のニックネーム)の体験授業を受けた娘もエデュコに惚れ、迷うことなく入塾を決めました。


 娘にとってエデュコへの通塾は日常生活の楽しみの一つとなりましたが、初めて受けた4年生の志望校判定テストでは、時間配分が分からず答案用紙の後半が真っ白だったことや、5年生になって4か月ほど宿題をさぼった時期があるなど、順調だったわけではありません。
 しかし、私が本当に驚かされたのは、1月受験の結果が出てから2月受験までの期間です。娘は幼少期よりピアノを習っており、発表会でも全く緊張せずに演奏をするなど、精神面に強みがあることは理解しているつもりでしたが、1月受験後の娘の強さは想像をはるかに超えるものでした。


 1月受験は5連敗から始まりました。進学することになった淑徳与野中学の医進コース特別入試では、合格最低点に1点足りずに不合格。その後の第1回入試では合格最低点をわずかに上回り初めての合格。「1点」を取ることの重要性を身にしみて感じたようです。やる気スイッチが入ったことは一目瞭然でした。これまでこっそり見ていたテレビやこっそり読んでいたマンガなどは自ら一切封印し、休憩と称して見ていたユーチューブも全く閲覧しなくなりました。


 また、娘は1月受験の最終日に、「明日から学校を休んで2月入試の対策をしたい」と言ってきました。例年以上にインフルエンザは猛威を振るっていたこともあり、娘には事前に、「2月受験の1週間前は学校を休むことになる」と伝えていましたが、それまでは学校は休まずに登校する予定だったため、少し迷いました。正直なところ学校を休んだからといって、家できちんと勉強をすることができるのか懐疑的だったのですが、娘の強い意志をくみ取って休ませることとしました。


 しかし、私の懸念は全くの的外れでした。午前中は過去問演習4科目をこなし、午後は過去問演習で正答できなかった分野の確認作業のほか、これまでの合不合判定テストや1月受験で失点の大きかった算数や、出題形式が特殊な第1志望校の物理・化学の過去問を解くなどして、自分の弱い部分と向き合い、1点でも多く得点できるための作業を実直にこなしました。1日に少なくとも10時間、多い時で12時間近く机に向かっていたと思います。1月最終週に右手が痛いと言い出した時には、試験当日にペンが持てないのでは困るから、少しペースを抑えるようにと言ったくらいです。


 改めて「受験校過去問演習記録」を見返すと、この間に第一・第二志望校の過去問合計19回分のほか、第一志望校の算数と物理・化学の過去問をそれぞれ9回分こなしていたようです。そもそも第二志望校はチャレンジ校であり、娘が熱望した第一志望校はさらにその上という過酷な志望校選択ではありましたが、やる気スイッチの入った娘は過去問演習で合格最低点超えを連発するようになり、この調子ならもしかして、とさえ思えるようになりました。第一志望校に合格したいという気持ちからくる娘の集中力や忍耐力、そして自らを律してやるべき課題を実直にこなしていく精神力は、間違いなくエデュコが掲げる「勉強上手」に重なるものがありました。結果として合格最低点には届きませんでしたが、娘はやり切ったから悔いはないと言い、涙を見せることもありませんでした。

 2月受験は4連敗となりましたが、2月5日受験最終日には当初の第三志望校の合格をいただきました。1月受験後の猛勉強の成果が結果に結びつき、本人のみならず親も安堵しました。テッカとの面談で、「第三志望校の合格を確認してから、どちらの学校に進学するかを考えれば良い」とアドバイスをいただいていたので、娘の意思を確認したところ、喜びもつかの間、黙り込んでしまいました。私は当然第三志望校に行くものと思っていたのですが、1月・2月の受験を経て、娘の中で淑徳与野中学の存在が大きくなっていたようです。淑徳与野中学の入学手続きは日程上既に済ませていましたが、第三志望校の入学手続期限までの時間は限られており決断をしてもらわなければなりません。私も妻も、「親の評価を伝えるのはやめよう、自分自身の考えで決めさせよう」という意見で一致していたので、娘の決断を待ちました。娘は改めてそれぞれの学校のパンフレットやホームページを見て熟慮していましたが、どちらも良い学校で、それぞれお気に入りポイントがあり選ぶことができません。

 翌朝になってもなかなか考えがまとまらず、いよいよタイムリミットを気にしなければならなくなってきたころ、テッカから電話をいただきました。「学校は服だよ、服を着ている本人は変わらない、どちらも良い学校だから自分が良いと思う方を選びなさい」などとアドバイスをいただいたようです。その後もしばらく悩み続けていましたが、手続締切時刻のちょうど2時間前、合格発表からおよそ8時間悩んだ娘が「淑徳与野に行きたい」と言ったのと同時に、これまでの受験期間中全く涙を見せることのなかった娘の目から大粒の涙がこぼれ落ちました。娘にとってこれまでの人生で最大の決断でした。「30分後にもう一度確認するね」と娘に伝えて再確認しましたが、その頃には淑徳与野中学への進学意思は確固たるものとなっていました。

 中学受援は過酷です。12歳の小学生が人生の岐路に立ち、自らの進むべき道を自らの力で切り開いていかなければなりません。娘にとって初めての経験であり、相当な精神的負担があったことは想像に難くありません。しかし、自分で選択した道だからこそ、中高6年間、大学受験、そして社会に出て…、きっと素敵な未来が待っていることでしょう。

 中学受験塾は数多くありますが、エデュコに出会えて心から良かったと思います。塾選び説明会で受けた感銘や体験授業で感じ取ったであろう娘の感性は、間違いなかったのだと確信します。娘はエデュコが大好きです。4年生の頃、娘は足を骨折したことがありましたが、どうしてもエデュコに行きたいというので自転車の後ろに載せて連れて行ったこともありました。体調不良で通塾できないときも映像授業で真剣に受講していました。1月の通常授業最終日、「今日で最後だね」と娘に語り掛けると、「まだ来週時事特訓があるもん」と最終授業を認めません。受験を終え進学校が決まると、来年の受験生の応援に必ず行くとはりきっています。娘はエデュコとともに成長し、この先のエデュコで学んだことを活かしていくのだと思います。こんな素敵な中学受験を経験できた娘は幸せです。

 娘が厳しい中学受験を最後まで駆け抜けることができたのは、テッカを中心とした先生方並びに事務の皆さまが作り上げてこられた「エデュコ」のおかげです。4年間お世話になりました。ありがとうございます。これからも素敵なエデュコ族を育て続けてください。