息子の中学受験を終えて

30期生(2023年卒) 受験生・保護者(母)

 息子がエデュコに入会したのは、新3年年クラスが始まる二年生の2月でした。エデュコに通うことを決めた理由は、2学年上の姉がすでに通っていたからではありますが、3年生という早い時期に入塾を決めたのは、まだこなすべき学習量が少ない時期から、勉強の習慣をつけさせたいと親が考えたからでした。
 基本的にはまじめでコツコツ型の姉に対し、マイペースで感覚型の息子はタイプが全く異なり、自分が必要だと思わないことはどんなに言われてもやらない(結局字は最後まで丁寧に書かなかった)…親としては高校受験時の内申点などを考えると、どちらかというと息子の方に積極的に中学受験をさせたいと考えていました。本人は「中学受験」というものをよくわかってはおらず、他の習い事のように「お姉ちゃんがやっているから自分もやる」という程度の意識だったと思います。


 入塾してみると、志木の新3年生クラスは息子ただ一人。テッカ先生の算数とマッチャ先生の国語をマンツーマンで受けられるというぜいたくすぎる授業…「志木の長男」と言われ、入試まで先生方にはいろいろと気にかけていただきました。
 しかしこの「長男」、いささか頼りないところがあり、わからない問題に出会うたびに涙し、迎えに行くとお友達に「今日も泣いてたよ」と報告される日々。テストの順位は良くても悪くてもあまり気にしないのに、ひとたび「わからない、できない」という状況に直面するとパニックになり、なかなか受け入れられない=自分の課題に向き合えないという性質は入試まで変わらず、親としてはその部分は常に心配の種でした。
 はじめての保護者会も自動的にテッカ先生との個人面談になり、「できないことで突っ伏して泣く子は時々いますが、『なんでこんな難しい問題を出すんだ』と、こちらをにらみながら泣く子は初めてです」と笑顔で語られ、親としては恐縮しきりでした。


 それでもエデュコは大好きで、家族の新型コロナウィルス罹患時以外はおそらく無欠席。むしろ季節講習も全講座取りたがるため家庭学習の時間もなくなり、親としては「エデュコに行ってさえすれば、勉強できていると勘違いしているのでは」と心配になり、6年生の春に「どうしてそんなにエデュコに行きたがるのか」と聞くと、「うーん…『実家のような安心感』?」との返事…いやいや実家から通ってるんだけど、と心の中でつぶやきつつも、そんな場所を息子が見つけられたことに、喜びとうらやましさを感じていました。息子にとって受験勉強とは、志望校に合格する力を身につけることではなく、エデュコに通い続けることであり、いつの間にか手段が目的になってしまっていたようでした。


 仲間にも恵まれ、合不合を同じ会場で受験する友達と話しては、合流して一緒に試験を受け、午後の答案練習会までの間に一緒にお昼ごはんを食べる姿は、楽しそうでとても微笑ましい姿ではありました(友達が電車で一生懸命予習シリーズを広げる中で一人読書にいそしむマイペースさには、若干申し訳なさもありましたが…保護者の皆様ご一緒させていただきありがとうございます)。


 そんなマイペースすぎるけれど知的好奇心は旺盛な息子が楽しく過ごせる学校を、という気持ちで当初親がプレゼンし、本人も気に入った志望校でしたが、受験勉強のモチベーションとするにはハードルの高すぎる目標ではありました。自分の考えを文章に書き表すことに大きな抵抗があり、過去問解答中に思考停止しては何度も寝てしまう息子の姿に「学校の求めている生徒像に、今の息子は追いついていないのではないか、あっていると思ったのは親のエゴで本当はミスマッチなのではないか」と何度となく自問する日々が続きました。


 しかし、入試直前には毎日欠かさず触っていたゲーム機も封印し、繰り返し受験校の過去問を解く中で、少しずつできないことややりたくないことにも向き合えるようになり、だんだんと受験生の顔つきになっていったような気がします。いつの間にか悔しさも嬉しさもあまり表に出さなくなった息子は、当日も緊張を表に出さず、一人静かに戦い、結局本人は一度としてあきらめることのなかった志望校に、進学する権利を得ることができました。


 ここまで導いていただきましたエデュコの先生方には、姉の入塾時から丸5年、涙涙で始まった息子の受験生活を最後まであたたかく見守っていただき、本当にありがとうございました。帰宅後にエデュコの授業の内容を楽しそうに話す息子の姿はもう見られなくなるのだな、と思うと親としてもさみしい気持ちもありますが、進学する学校でも自分の居場所を見つけ、エデュコと同じくらい楽しく過ごしてくれればと願っています。あらためて、エデュコに関わるすべての皆様の、幸せと健康をお祈りいたします。