父子家庭の中学受験

29期生(2022年卒) 受験生・保護者(父)

 我が家は父子家庭です。息子の母親はエデュコに⼊会して半年ほど経った4年生の秋頃に病気のため死去しました。それからというもの、私と息子の二人三脚で中学受験に挑んできました。塾帰りの迎え、塾弁当の用意、家庭でのフォローはすべて私の役割です。結果から言えば、第一志望の学校には合格できませんでしたが、心から通いたいと思える学校に合格し、その学校への進学を決めて、親孝行してくれました。一人っ子の息子にとって、エデュコは、学習塾という役割に加えて、心の安定をもたらす特別な場所だったのではないかと思っています。エデュコに対し、心からの感謝を込めて、3年間のエデュコ生活を振り返る受験体験記を記します。稚拙な文章ではありますが、読んでいただけたら幸いです。


 入塾は3年生の1月でした。⼊塾テストを受けたとき、大友先生から、自信をもって中学受験を進めていけるという評価をいただき、ワクワクして⼊塾したのを覚えています。4年生の頃は、算数と国語の二教科ということもあり、楽しんで通っていました。しかし、ここからが想定外でした。息子の⺟親が突然この世を去り、残された私たち2人は途方に暮れました。それでも、エデュコを退会させようとは全く考えませんでした。幼い子どもがずっと家にいては精神上良くはないし、きっと、塾で勉強しているほうが気も紛れて良いと思ったからです。それと同時に、入塾説明会での湯田先生の「エデュコは中学受験の学習を軸に子育てを支援する場所でもあり、そして、子供が生きる力を学ぶ場所である」という言葉を思い出し、ご迷惑をかけるかもしれませんがこのままお世話になろうと覚悟を決めました。


 5年生なると理科と社会も加わり、家で手がける宿題の量も一気に増え、ここからが息子にとって辛い時期でした。この頃から、ドジ問(間違い直し)を手がける必要があったのですが、間違えた問題を冷静に捉えて、それを、もう一度、考えるということがどうしてもできず、親としては大変悩みました。あまりに、ドジ問に取り組まないので、ケンカになることも多々ありました。湯田先生に怒られるのを覚悟で、私がドジ問の問題を書き、息子には解法プロセスと答えだけを書かせたこともありました。できることを少しずつでも増やすと言うのは簡単ですが、息子のように幼い子どもにとって、自分の間違えた問題にもう一度取り組むということは、私が思う以上に大変だったようです。しかし、5年生の後半にもなると時々ではありますが、自分でドジ問に取り組むようになり、おそらく、全体の10%くらいは取り組めたと思います。これは一つ成⻑の証であり、真剣に取り組む姿を見て、本当に嬉しくなったことを覚えています。


 コロナウィルスによるオンライン授業化も想定外でした。まず、幼い子どもにとって、画面の前で、集中力を維持して、授業を受けるというのは大変難しいです。講師の方に手がけた宿題を見せることで、少しは学習に緊張感を持って取り組めたとは思いますが、やはりライブ授業に比べると、学習の質は大幅に低下したようです。また、5年生の後半は、寂しさもあったのか精神的に不安定で、成績は安定しませんでした。算数の授業中に、あまりに問題が分からず、泣いたことがあったと聞いています。29期生の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。


 こうして6年生となったわけですが、ここからも地獄でした。この頃もドジ問や復習の取り組みは、感覚的には10%も手がけていないと思います。そして、夏からは過去問に取り組み始めたのですが、思うように解くことができず、さらに、解説を読んでもわからず、勉強中に涙を流し、不貞腐れてそのまま寝てしまうこともありました。私が勉強をサポートしようと何度も思いましたが、在宅勤務のフルタイムでの仕事に加えて、家事を行う必要があり、息子につきっきりで勉強するのは不可能でした。そのため、私から息子へのフォローは、宿題が終わったことの確認と、塾帰りに習ったことを聞くだけです。「分からないから教えて」と息子に言われても、「それはエデュコに聞いて。お父さん分からない。」と伝えたことは少し申し訳なく思っています。6年生の後半になると、ようやく、授業中に出来る問題が増えてきたようです。塾帰りに授業で正解した問題のこと、湯田先生や甲斐先生に褒められたことを嬉しそうに話す息子との会話が楽しみになりました。「今日は御三家レベルの問題が解けた」と言って大きな赤い丸印のついたノートまで見せてくれました。これも息子の成⻑の証であり、少し頼もしく思えました。


 しかし成績のほうは6年生になっても相変わらずで、総合回テスト、合不合判定テスト、答案練習会の結果も決して良いと言える成績ではありませんでした。


 そして1月の埼玉受験を迎えます。合否の結果から言えば、合不合判定テストで80%以上だった学校には合格をいただけましたが、それ以外は全滅という結果となりました。この結果は息子にとって、かなりのダメージだったようです。自己肯定感が限りなくゼロになり、「もう何やっても受からない、もう1月で受験を終わりにしたい」と泣き出しました。しかし、湯田先生とも話をさせて、なんとか2月まで挑戦させることにしました。


 この時は、中堅レベルの過去問を復習することは本人の精神的に無理だったので、基本的な問題を多く出題する学校の過去問に取り組ませて、少しでも自信を回復させようと努めました。それでも、精神的にはかなり弱っていて、勉強時間は少し増えましたが、エンジン全開というまでには至らず、そのまま2月の東京受験を迎えました。


 受験会場に向かう途中に、講師の方々の激励を受けたのですが、この激励は息子とって不可欠でした。激励を受ける前は、不安からイライラして精神的に不安定になっているのが明らかに分かりましたが、この激励を受けるといつもの優しい息子に戻るのです。これは、きっと息子にはエデュコの講師の方々に対する絶対的な信頼があったからこそだと思います。


 東京受験はこれまた大苦戦しました。1日に受けた2校に不合格となり、精神はズタボロ、試験帰りにエデュコに立ち寄り、大友先生にフォローをいただきました。本来ならば、2日も受けることが良いのでしょうが、息子の精神は限界に近かったので、2日は受験せずに休息日としました。そして、3日に1校を受け、その結果が5日に発表されて合格、さらに5日に受けた学校にも合格をいただきました。最後の最後で、決めてくれました。


 2月受験で合格をいただいた学校は合不合判定テストの偏差値としては、全く到達しておらず、合格可能性はおそらく20%だったと思います。それでも、合格した要因を考えてみると、その答えの一つは、我が子が持ち帰った試験の問題冊子にありました。そこには、決して綺麗な字ということではなく、はっきりと濃い文字で書かれた計算プロセスや、選択肢の誤った部分には、しっかりと自信をもって線が引かれていました。なるほど、きっと息子は、この勉強の型をエデュコで学び、本番で忠実に実行し、合格をつかみとったのだと感じています。偏差値が足りなくても諦めず最後までよく頑張ったと思います。


 結果として複数校から合格をいただき、進学先には大変悩みました。中高一貫6年制の学校のほうが、手厚いサポートもあり父子家庭にとっては良い選択ではないかと考えました。しかし、失敗しても良いので、さらなる高みに挑戦させるために、高校受験のある学校を進学先に決めました。私は親として息子の挑戦を応援します。そのために、私は息子が学校に持参するお弁当のクオリティを上げる努力をします。私にできることはこれだけです。


 3年後は高校受験を迎えます。エデュコは息子にとって第二のホームです。何か迷った時は立ち寄らせてください。エデュコで少し充電すれば、きっとまた一歩進めると思います。

 最後になりましたが、講師・スタッフの皆様に感謝申し上げます。