エデュコに出逢って

29期生(2022年卒) 受験生・保護者(⺟)

 エデュコを知ったのは、単なる偶然でした。中学受験を経験した親族も皆無でしたし、御三家 と言われても全部は言えないほどのレベルでした。私の仕事が忙しい中で、子供が犠牲になることなく自己研鑽できるような時間を過ごしてもらいたい…そこで、たまたまエデュコのホームページに出逢いました。そこにはテッカ(代表)のシンプルなメッセージが並んでいて「ここなら安心して預けられる!」という安直な考えで、入塾を決めたようなものです。おぼろげながら「子供のうちにがんばる経験をさせてやりたい」というのもありました。


 専門職の私は、土曜日の仕事が休めず、保護者会にも参加できませんでした。子供の習い事なので手短に…という程度で、テッカと個人面談を重ねました。⻑男が楽しそうに通っている間にも、テッカから「中学受験を本気で考えないならやめさせた方がいい」と言われたりしました。渡された資料集も、字が細かくて何が書いてあるのかわからなかったし、過去のこの文集を読んでも全然ピンときていませんでした。


 そんな中でも、⻑男はみるみるテッカに染まっていきます。志望校を決めたら、一途に向かい始めます。親は後追いするのが精一杯。⻑男はエデュコの友達たちにも大変恵まれていたようでした。3 年生のスタート時から在籍した⻑男は、「エデュコの⻑男」と呼ばれたりもして居場所を確保していきました。おなかを抱えて笑うようなエピソードをたくさん聞かされました。あまりに楽しそうだったので、私もエデュコの自習室に仕事のパソコンを持ち込んで、子供と一緒に なってエデュコの空気を楽しみました。


 そこから。あれよあれよと受験が始まり、その時期はまさにジェットコースターで振り回されるような気分でした。ここまで家族が巻き込まれることなんだとは、やっぱり解っていなかった感じです。それでも結果的には、本人に合う学校に導いてもらうことができました。何もかもテッカが純粋培養してくださったおかげだと断言できます。


 次は長女。さすがに「知りませんでした」という言い訳は通用しません。でも今思えば、相変わらず私の背中は逃げ腰なままだったのでしょう。そしてそれは感受性豊かな娘にも、伝わっていたのかもしれません。授業は楽しいけれど、家に帰って夢中になる様子は伝わってきませんでした。兄の居場所だったエデュコを、自分の居場所としてとらえきれないままだったのかもしれません。急に難しくなってくる五年生の時期は、本当に可哀想な思いをさせました。


 オンラインだから参加できるようになった保護者会で、テッカのクラス運営も、⻑男の時とはまるで違うことを知りました。目の前の子供たちをきちんと見て、テレパシーを通わせていらっしゃるからでしょう。そこで⻑⼥の人生は⻑男とは大きく違うことに、やっと気づきました。バリ(内山先生)が担任をもってくださるタイミングでクラスの転向を決めました。「あなたにはバリだったんだよ。」と言い聞かせて。


 そこからは、家でもやっと本気で学習と向き合うようになりました。バリも本気で伴走してくれました。⻑⼥はもがき苦しみつつも、少しずつ少しずつ、でも確実に変わっていってくれました。日々の課題を自分事としてとらえられるようにはなったものの、積み残しがあまりに多くて押しつぶされそうでした。それでもなんとかしがみついていたという感じです。


 当然のことながら、あっという間に1月受験になりました。「残念ながら」と書かれた青い画面を見て、長女の顔はまた変わりました。「これが受験なのね。やっとわかったよ。私はこんな大切なことから逃げようとしていたんだね。」という言葉が彼女から出てきたときは、感激しました。保護者会で「1月受験が始まってから変わる子もいる」とおっしゃっていた意味も解りました。状況を理解した長男も、算数の先生として登場してくれました。


 そこからはさらに挑戦を続けることになります。毎日毎日精一杯手を伸ばして、なんの確証もないチャレンジを続けます。「ボクシングみたいなもんだって、バリも言ってた」と長女は笑っていました。傷つくことばかりでしたが、彼⼥にとってこれ以上の成⻑はなかったと思います。 「必ず最後までやりきるんだよ」というバリの言葉を支えにして。


 もっともっと用意周到に、プロのような教育を目指されているご家庭も多いことでしょう。我が家の場合は、⺟である私自身の思いつきで、想定外に家族を振り回すことになったようなものです。こんな未熟な⺟親であっても、エデュコに出逢ったおかげでかけがえのない家族史を刻むことができました。担任してくださった先生方はもちろん、他の温かい先生方やスタッフの皆様にも本当に本当にお世話になりました。わが家族丸ごと成⻑させてくださったのです。これぞプロのお仕事!ですよね。


 私の仕事に対するスタンスも、成⻑できた気がしています。私のように、キャリアを二の次にできないママもどんどん増えていくでしょう。だからこそ、どうかお願いです。二十歳の集いまでとは言わず、孫ひ孫の代まで【エデュコよ、永遠に】‼