大好きなエデュコのみなさんへ

28期生(2021年卒) 受験母・増田

 息子は小さな頃からいろいろな物に興味を持ち、一人で黙々と遊ぶ子供だった。三歳の時は「国旗かるた」にはまり、国名を言いながら床に一列に並べていく。きちんとトイレを済ませたら、壁に貼った世界地図にご褒美の国旗シールが貼れるので「うーん」と頑張る。世界地図ボードに百本の国旗をたてるおもちゃを、幼稚園に行く前にカナダ、アメリカ、南アメリカ、オセアニア…と同じ順番でさしていく。帰ってくると決まった順に国旗をはずして、エリア毎の袋にしまいボードも箱にしまう。そして翌朝また箱を開け、決まった順に国旗をさす。どれくらいの期間やっていたか忘れたが、短くても一学期間は毎日毎日…やっていた。テッカ先生も驚く彼の集中力や、真摯に向き合う、自分のこだわりを持つ等、息子の勉強スタイルは既に幼児期に培われていたのかもしれない。


 そんな彼だから、「しまじろう」からスタートした毎月の学習教材で勉強習慣は身についていた。習い事も沢山していたし、四年生まではこのままで、もし中学受験をするなら五年生から塾通いをすれば良いと考えていた。何より私自身が子供と勉強するのが楽しかった事もある。しかし三年夏休みに私との勉強に限界がきた。その日の算数は少し難しく「習ってない」と不満気だったが、ヒントをあたえながら20分かけて回答を出した。正解に二人で喜んだが、息子の式は私には全く理解できなかった。答えにたどり着くまでの考え方や、それまでに求めたい数も私と同じ。でもお互いの解き方が理解し合えず、息子は「あってるからいいじゃん!」とすねてしまった。


 勉強は自分の知らないことを知って理解し、活用できるようになって「楽しい」が連鎖していくものだと思う。せっかく学ぶ事が好きなのに、私とではそれは無理だと感じ、プロにお任せしたいと塾探しを始めた。とにかく子供が楽しく勉強できる、習い事はやめない、集団指導という条件のもと、エデュコにたどり着いた。


 十一月に体験授業をうけ、翌月には入会した。息子は丁寧な行動から周りのスピードに焦るところがあったので、四年で人数が増える前に環境に慣らしておきたかった。エデュコの授業は月、火のニ回。初めの頃は視界にお友達の後頭部が入るのがイヤだと言って、早く行って一番前のお気に入りの席にすわっていたが、その居心地の良さにこだわり最後の授業まで続けた。 迎えの車の中で、授業でやった算数問題をキラキラ顔で私にだしてくる。そのやりとりは私にとっても最高の時間で、親子で「楽しい」の連鎖を共有でき、エデュコに出会えて本当に良かったと思った。
 理社は七月から受講した。初めて四教科で総合回テストをうけ、理社の点数が二十五点しか取れなかったことに本人は戸惑っていた。理科と社会の一問一答の単語カードを作ったり、お話風のセリフや語呂合わせを考えたり、理社の内容を楽しく覚えられるように工夫した。その甲斐あって次の総合回で最優秀賞を取ることができた。順位が下がる不安を抱く時もあったが、やった分ちゃんと結果に繋がることがわかり、息子はさらに学ぶ楽しさを感じていた。


 習い事はやめないと言っていたが「五年からは志木の御三家クラスに絶対に行く」と言い、水曜の英語をやめることにした。今まで勉強をするというより、何か競技やゲームに優勝する感覚で二人でわいわいやっていたが、その間に息子は自分のこれからを見据えて、強い意志をもって自分で選択していたことに驚いた。


 五年になり前期十回の総合回で順位が下がった。メンバーの入替もあるしこうなることもあると話していたので、多少ショックだったようだが下がる恐怖から解放され、気持ちの余裕が感じられた。自分のやり方で理社の勉強もすすめた。文章で理解しづらい単元は、私が図や絵にしてまとめた。


 学校一斉休校。緊急事態宣言。まだ志望校が決まっていなかったが、先の見えない不安から、受験日が二日以上ある学校を選び、的を絞って勉強したいとテッカ先生に伝えた。今は選んだ学校よりもっと目標を上に設定した方がよいと言われ、チャレンジ校と、選んでいた学校を第二志望校とした。


 対面授業が再開。孤独感からこっそり泣いていた息子に笑顔が戻る。目指す志望校もきまりやる気が出てきたのか、いつの間にか勉強あとの楽しみだった任天堂Switchをやらなくなっていた。


 合不合テスト、過去問演習、毎日が早く感じた。習い事のロボットプログラミングは九月まで、エレクトーンは十一月末の検定まで続けた。十月の面談で「第一志望校は50%」と言われた。私は子供が「有名だから」とか「ただ受けてみたい」とか、どんな理由でも受けたいと思うのならそれでよかった。息子は50%では不安そうで次の合不合で決めると言った。
 十一月の過去問演習でギリギリ合格点を超えた。力はついてきてる。答案練習会でも合格ラインは超えたが、どちらに転がるかわからない、これが50%なんだと実感もした。最後の合不合は手応えがあったと話していたが思っていた結果ではなく、彼は第一志望校を変えた。


 もう受験することはない学校、今日の答練が本当の最後、向き合うことのない問題。私は塾に送り出す時はいつも「楽しんで」と声をかけていた。今日は「合格してきて!(その学校を)やっつけてこい!」と発破をかけた。彼は笑顔でグーサインを出した。約束を守って帰ってきた息子を誇りに思う、これが自信に繋がり更なる力を発揮してくれるだろう。三日後の面談でテッカ先生に受験しないことを伝えると、先生は崩れ落ちた。(そのように見えました)。


 埼玉受験で合格がもらえると、私は一気に脱力した。安心を手にしたのもあるがエデュコロス…。あと◯回でエデュコ終わっちゃうよ!車で迎えに行くの◯回しかない! 我が家は息子が幼稚園から五年生の六月まで、父親が単身赴任しており、関東圏であったが休日出勤が多く帰れる日が少なかった。息子と私の生活リズムはエデュコ中心となり、どんなに寒くても高熱があっても私が動かなければならない、濃密すぎた日々が終わろうとしていた。緊張感が全くなくなりかえって良かったのかも知れない。私が作った単語カードや図式化した紙を、最後に息子と見直しする。今ではスラスラ答えられ、もうこれは必要ないのだと、見直した物からゴミ箱へ入れた。断捨離ついでに「国旗」のおもちゃを押入れから出し息子にやらせてみた。同じ国旗の国があり、それ以外は殆ど覚えていて三人で 笑った。


 最後まで何がおこるかわからない。一月に試験と同じ時間に過去問をやらせた。得点が高い。ギリギリまで力は伸びるのかと、志望校の選定は早すぎたか、と思う。しかし第一志望校の一回目は不合格。何度もパスワードを入力した…。こんなことならチャレンジさせれば良かった、いや、こんなこともあるから、二回目もあるこの学校に決めたんだ。最後まで葛藤は続いた。第二志望校の合格がわかり、二回目はリラックスして臨めた。「帰ったら何しようかな〜、もうホントに自由だよね?」「明日からエレクトーン再開だから、発表会の曲を練習した方がいいよ」「俺いそがしいなぁ〜」


 背負っていた重いものが一気にはがれ落ち、軽やかに歩く。エデュコに贈るため、折り紙でペガサスを作ることにした。エデュコ生が合格に向けて羽ばたけるように。二十八期生の仲間が新しい場所で活躍できるよう願いを込めて。