中学受験を終えて

27期生(2020年卒)保護者 川合 励 父

妻から合格記を書いてほしいといわれ、数年前にエデュコ受験合格記を読んでいたことを、いまさらながらに思い出し、あらためて合格記を引っ張り出して読み返してみたところ、当時は感じなかった感情の高ぶりを覚え、思わず泣いてしまった。子供とともに、エデュコとともに歩んだ様々なご家族の戦いと成長の記録は、この何年かの重みがあって初めてその行間を理解できた気がした。自分たちもそうであったが、ひとつひとつの家庭に様々な苦労や努力や、勝利や敗北があったことであろう。ただ、それも信じて預けるに足る素晴らしい塾があったからであることはまったくもって間違いがない。


受験当日受験校に向かう電車の中で、たくさん着込み過ぎたせいで動きづらそうにしつつも、何度もエデュコの先生から送ってもらった手紙を大事そうに何度も読み返す子供の姿を大変愛しく感じたのを覚えている。テッカにもらったのだと、ガムを受験校毎にひとつひとつ大事にわけて食べていた。当日、緊張で震えながら握りしめていたエデュコの先生からもらったホッカイロは、それぞれに日付を自分で書き込んでジップロックに大事そうにしまっている。本当に受かってほしいと心から望んだが、結果は必ずしも望んだものでとはならなかった。しかし、彼の人生にとって、この体験は素晴らしいものであったと、強く想う。


長男に続いて次男がエデュコに入塾したのは小学三年生の時であった。当初は本人も含め二人の小さなクラスだったようだが、非常に家族的であり長男も所属していたことから温かい雰囲気にすぐになじんだようであった。長男が受験を進めることを横で眺めつつ、自身も徐々に受験体制に向けて勉強を進めていた。


エデュコではたくさんの友達と囲まれて楽しく勉強ができたようだった。いつも送り届ける際にコンビニで友達にわけるからといってお菓子を一緒に買っていったのが、とても微笑ましかったし、そういった環境を作り出してもらえる塾というものは得難いものであったし、学校以外の場所で共に学べる友達がいるということも子供の環境にとっても良いものであった。


エデュコの教師陣はこの地区に根付いていることもあり、自宅から無理なく通える範囲の学校のなかで、子供の学力に応じてどのような戦略を考えてどの学校にアタックしていくべきなのか、そのためにはどのような勉強をすすめるべきなのかについて豊かな経験を保持していると感じた。エデュコとともに検討したプランはまったくリーゾナブルであった。


ようやく本人に受験生としての緊張感が生まれてきたのは、ふりかえってみれば六年生の夏休みぐらいであったように思う。大好きなゲームを封印することを自身で決めたのが秋口にはいってからではあったが、そこから本当に集中して勉強をしていたように思う。遊びたい気持ち、ゆっくりしたい気持ちをなんとか自分でコントロールするようにがんばっていたのを、応援しつつも、彼の成長を感じていた。


中学受験というのは、ある意味理不尽なものである。三月生まれと四月生まれの子が同じラインで戦わなければならないし、まだまだ心も体も子供であり成長のまっただなかにいる彼らに、努力などでは埋まらない差がうまれてしまうことがあるのも事実であるからだ。大切なのはそういったことを親がきちんと理解して、接していけるかどうかであるということを兄弟の受験を通じて強く感じた。中学受験というのは子供から小さい大人になるちょうどその端境期に存在するものであるので、一緒にがんばりつつも、少しずつ大人扱いをしていく、そういった親にとっても成長の時期であるのだ。


受験そのものの進め方について夫婦で意見が食い違うことは多々あったかとおもう。なにが正しかったのかはもちろん最後になってもわからないものではあるが、特に大事なのは受験が最終コーナーをまわったのち、不安が増してくる中でいかにエデュコともよくよく相談して決めた進め方を守り続けられるか、という点かと思う。一月に入り、周囲に合格者も出始め、家族を不安が襲うこともあるが、たぶんそういった目に見えない不安に負けて最後に方向修正をしていたら、どうなっていたのかわからない。


子供と一緒に勉強をともにすすめ、合否をともに分かち合い、ともに落ち込み、喜んだことは、自分にとって一生の宝であるし、子供にとっても人生のこやしになってくれることと思う。


子どもの中にもエデュコはいまでも生きていると思うし、私たちもときわ台の駅前にいくたびに、寒い日も暑い日もこどもを送り届けて、励まし、ともに進んだ日々を忘れないと思う。学習塾と一言に言っても、いろいろとあると思うし、相性というものもあるのかと思う。しかしエデュコでよかったな、といま二人の子供の中学受験を終えて、素直に思う。もちろん最終的な合否結果が大事であるというのは間違いないことかと思うが、勝負なぞはどうなるかわからないのも一方で事実であり、中学受験という大イベントにおいてはその結果も大事であるが、どのようなひとたちと共にそのイベントを戦い抜いて、子供の中に単なる勝負事ではないなにかを残していけるか、という価値観も一方で大事だと思うのだ。


受験生とそのご家族とエデュコに幸多きことを祈って。