全力で挑めた第一志望校

26期生(2019年卒)保護者 受験生 母

 子供の中学受験をさせようと思ったのは、反抗期を迎える前に勉強の基礎を作り習慣化できれば後々の学習に役立つのではないか、多感な時期に高校受験に分断されない長い時間を友達とともに過ごせるのではないか、と両親共に中学受験の知識がない中、安易に考えたのが始まりです。


 四年生の夏前、気楽な気持ちで受けた入塾説明会と入会テスト。質問をさせて頂く隙もないぶっ通し2時間にも及ぶジャムの熱血説明会には驚きました。正直、怖気づきましたが、それに加えて入会テストの結果の悲惨なこと。

 他塾では、

 『伸び代があって期待できる』

 と、入塾を勧められる一方、

 エデュコからは言葉を選ぶように伝えられたこの言葉。

『厳しい結果となり、現状においては予習シリーズを用いた集団指導が有益なものになるかどうか慎重にご判断いただきたい』

 とのこと。

 これまで何の対策もして来なかったこと、三月生まれで不利なこと。色々な悪い条件が重なり、当初は諦めた方が良いと思いました。ただ入塾前から、手厚さ滲み出るこのエデュコからの言葉に感銘を受けたのも事実です。本人の意志も固く、覚悟を決めて突入することにしました。


 本人はと言えば、幼稚園の時から、母子分離時に泣きわめいて通園を拒むなどの感情をむき出しにすることがなく、小学校入学後、転校も経験しましたが、動揺することなく、毎朝サラリーマンのように『行ってきます』とランドセルを背負って出掛けていくタイプの子供でした。

 エデュコ入塾当初は、先生が日本語を話しているのかわからないというほど、難易度が高い授業でついていくのに必死だったようです。この不安感も実は最近になって初めて漏らしましたが、当時は黙々と通い、理解に苦しむ時は自習室を利用しながら、穴埋めをしていたようです。


 塾友には、物知り博士や、休み時間になると決まって新聞を読む子がいて、

『〇〇君半端ねぇ。』

 と小言をこぼしたり、休憩時間は会話のレベルが高すぎて、聞くことだけで精一杯と漏らしたりすることがありました。塾友からは、かなりの刺激をもらっていたようです。


 六年になって、テッカの授業も段々とわかってくるようになると、算数だけはやった分だけ自信がつき、楽しくなってきたようです。本来はもっとスピードを付けさせたいとテッカは思っていたようで、それを本人へ伝えるタイミングまで見計らって頂いたのは、驚きと同時にとても感激しました。自然と算数有利な学校を志望するようになったのも、この頃です。

 また算数だけでなく、六年後期から受講した国語の自由記述の特訓。これまで読書を含め、文章に触れることへの抵抗があった子が書いたとは思えない程の作文力の向上が見られるようになりました。


 志望校の選定においては、偏差値が全く及ばない不安感から、第一志望校を急遽変更した時も、アドバイスや軌道修正等、納得のいくまで相談に乗ってもらいました。


 親としては、高校入試で再チャレンジを覚悟して不安だらけの中、スタートした入試となりました。今思えば情けない話なのですが、小さいうちにこんな辛い挫折を経験させてしまうことへの罪悪感から、不合格時のフォローのための言葉ばかりを探していました。

 第一志望校の当日、試験を終え帰ってきた子供は、結果はどうであれ、自分の解法に自信を持ち、全力で挑戦できたことへの達成感で満ち溢れ、やり切った表情だったのを鮮明に覚えています。

 目標に向かって自ら進んで努力する姿からも、子供の成長を感じる受験となりました。

 しかも、合格という素晴らしい結果もついてきました。


 勝因は、本人の謙虚さと自信だったのではないかと思います。自分が解けた問題は、みんなも解けていて当たり前と考え、それ以外の箇所で点差を付けなければ勝てないと考えていたのは、我が子ながら感心しました。

 また、当日に全力を出し切れたのは、絶対受かると信じて挑めたからだと思います。最後まで自分の解法に自信を持たせてくださったのは、過去問対策をはじめ、ひとえに先生方のご指導の賜物にほかなりません。


 末筆ではございますが、受験直前まで刺激をくれたエデュコの二十六期生の皆様、パーソナルベストを超えた志望校への挑戦のご指導を頂いた先生方、いつもサポートしてくださったスタッフの方々に感謝を申し上げるとともに、エデュコの今後益々のご発展をお祈り申し上げます。