受験を終えて

31期生(2024年卒) 受験生・保護者(⺟)

 「算数が難しいと泣いてばかりで宿題が終わりません。どうしたらいいですか。」何度この質問を湯田先生にしたでしょうか。


 出来ないわからないと泣く、時間がなくなり宿題が終わらない、結果泣く、の無限ループ。四年生の四月に入塾後早々、私が疲れ果て、湯田先生へご相談しましたら、「お母さん、泣くのは分かりたい気持ちの現れです。自分をごまかさず取り組んでいる証拠です。」と息子を褒めて下さいました。目からウロコでした。泣く事を受け止め前向きな言葉をかけ続ける、難しいミッションを授けられましたが、親ではなく子をよく見てくださるこの塾にお任せしようと強く思った出来事でした。また算数の取り組みも、「基本問題のみしっかりやる、発展問題はとばしていい」とおっしゃるのを失礼ながら疑っていましたが、本人が算数嫌いにならず勉強を続けられたのは、そうしたことで本当に少しずつですが自信をつけたためだと後々気づきました。


 六年生の夏休みには四年間通ったロボット教室を辞め、体力作りのための空手は道着のままエデュコウィークリーに通いながら十一月末まで続けました。その頃には本人が受験のことを意識するようになっており、受験体験記を読んだりお友達と志望校について話したりしていたようです。


 冬休みが終わるころには、ストレスからちぎった髪の毛が大量に部屋に落ちていて心が痛むこともありました。それでもエデュコからの帰り道、長時間勉強した後にも関わらずお友達と楽しそうにしており、授業中のテッカ、アンパン、バリカン、マッタケ、ナミヘイのおもしろ語録や、今日はひとつだけ〇がついた!できなかった問題腹立つ!など、授業での出来事を聞かせてくれました。ストレスはあるけれど、こうして塾のお友達と先生方が解消をしてくださっていて、なるほどこれがエデュコ族かと納得しました。


 一月の受験当日、持病の中耳炎になり耳の不調を抱えたまま臨むことになりました。言葉のない道中でしたが激励地では先生のところへ飛んでいきました。先生方はしっかり握手をし、まっすぐ目を見て激励の言葉を下さいました。その後の息子は顔つきが変わり、良い集中力に切り変わったように感じました。先生のお言葉を反芻し、自分に言い聞かせている様を見ると、全力を出す方法をエデュコで学んだのだなと、しみじみしました。また、手ごたえがなく結果も散々だった時はさすがに落ち込み涙をこらえていたのですが、湯田先生からの、「落ち込む必要はないんだぞ!」との一言で立ち直り、姿勢が変わりました。「あんな難しい問題を出すなんて、テッカはおかしい」と泣いていたころが嘘のように、先生への信頼が大きなものになっていました。


 二月の受験でも、先生に会いたいからと少し早めの予定を組みました。先生方からいただいた沢山のホッカイロを手に、マッタケからもらったのが一番熱いんだよなとホッカイロから先生方の熱を感じていました。おかげさまで緊張せず落ち着いて臨めたようです。


 親としてまいったのは、二月の受験日前日も一月とは反対の耳が中耳炎になったり、当日の電車の緊急停止があったことです。ドキッとしました。あんなに備えたつもりでも、何かが起こる可能性はあると心構えが必要だと思いました。

 塾の帰り道、合判テストの帰り道、エデュコ生を見つけては合流し楽しそうにしている子どもたちの横で、保護者の方々とお話しする機会が多々ありました。同じ思いの方がいると実感でき大変心強かったです。交流してくださった保護者の方々、本当にありがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。三十一期生の生徒さんたち、またどこかでお会いしましょう。

 そしてエデュコの先生方、スタッフの方々、三年間息子を見守り導いてくださり、本当にありがとうございました。また、私のとりとめのない質問に根気よくご対応いただき、時にははっとするお言葉もいただきました。息子だけでなく、私にとってもエデュコは学びのある場所でした。ありがとうございました。どうぞお体に気を付けて新六年生をお導き下さい。三十二期生の皆様の受験が楽しいものになりますように。

追記
 テッカのブログにあった、円陣を組んだお話をお伝えしたのはおそらく私です。人通りも多い中大勢で集まり、ハラハラして見ておりました。その次の瞬間にみんなで肩を組んで円陣を組み、オー!と言っている姿と、次の日それをお伝えしたときの湯田先生の笑顔は、今思い出しても胸がいっぱいになります。