大好きだったエデュコへの感謝を込めて

26期生(2019年卒)保護者 受験生 母

 とうとうエデュコへ通う日々が終わってしまいました。もう息子がエデュコで授業を受けることもないのかと淋しい限りです。ご参考にはならないかもしれませんが、感謝を込めて受験生活の振り返りを綴りたいと思います。


 息子のエデュコ生活が始まったのは、多くの皆さんより遅く、五年生前期の六月半ば頃でした。息子は習い事を勧めてもなかなか一歩を踏み出さないタイプで、友人を家に招いて遊ぶか、読書にテレビと、家にいることが好きな子でした。「もっと外に出て活動するような生活を」と本人に勧め、四年の夏からは学校の放課後金管クラブに加入し、冬からは週一回テニススクールへと通うようになり、ようやく家の外での時間も増えてきておりました。

 五年生になり、学校の先生とお話した際、「(息子さんは)私立中学で、アカデミックな授業のところの方が楽しく勉強できるのでは?」と受験を勧められました。息子は図書室などで借りて読む本の冊数が多く、いろいろなことに興味をもって会話をする子ではあったので、「中学受験の勉強もいい刺激かもしれない」と思いました。そこで、六月のはじめに(半ば強引に→本人談)「全国統一小学生テスト」を受験するため、初めてエデュコを訪れました。


 母親の私は、中学受験経験者で私立中学・高校に通いました。しかし、当時は大手塾の大教室での授業と週末テストを受けるだけ、自宅での学習はなしという生活だったため、勉強のやり方は全く身につきませんでした。同時につらかった思い出も全くなく、「中学受験の塾は楽しい、勉強は面白い」という印象のままでした。結果として、勉強習慣のないまま中高生活を謳歌してしまい、大学受験前に自力で計画・勉強する際には苦労しました。ただ、そこで得た経験も大きく、中学受験にあたっては、「受け身でなく、自ら学ぶ姿勢と習慣をつけられるように」という思いがあり、「手を使って学習スキルを身につける」というエデュコのご指導は正に求めていたものでした。

 また、他にも心がけようと思ったことがいくつかありました。

 ☆最優先は、子どもの「心の健康・体の健康」

 ☆成績・結果第一主義にならす、小学生らしく学校生活を送るのが基本

 ☆常識にとらわれすぎず、あくまで本人に合ったペースで

 ☆勉強を嫌いにならない、学びを楽しいと思えることが大切

 ☆聞いてわかった気になるのではなく、自分で納得しながら勉強を進める


 統一テストの結果で入塾させていただけるとのことで、まずは体験授業に参加しました。母親の私も教室の後ろで一緒に参加しましたが、アットホームでなんとも言えない居心地の良さに、二時間が短く感じました。ただ、息子はというと、算数が知らないことばかりで、井の中の蛙だったことに気づき、良くも悪くもショックを受けたようでした。そんな状態でも、同じ学校のお友だちが在籍されていたこともあり、やってみようと入塾を決めました。

 ただ、金管クラブは月曜日以外毎日練習があって帰宅が五時過ぎのため、五時からの授業には間に合いませんでした。お友だちより勉強が遅れているのは承知していましたが、金管クラブを休むよりは、最低限とされる算数だけ受講し、残りの教科は予習シリーズを自宅でできる範囲でやる形でもいいだろうと話し合い、月曜と水曜の算数のみの受講でスタートしました。金管をやり遂げる経験も、本人にとっては大きな財産になると思ったからです。


 おかしかった思い出と言えば、初めての算数授業の際に、息子は湯田先生のクラスに通されたのですが、受付にいた私の前を慌てた様子で荷物を抱え、齋藤先生のクラスに逃げるようにして移動していきました。案内された教室に入った途端、学校のお友だちを見つけてクラスレベルを察し、自ら「場違い!」とばかりに教室移動をしたのです。湯田先生が「こんな子初めてだ」と苦笑いでおっしゃった記憶があります。「算数の意味がちんぷんかんぷん」という状態でのスタートで、本人にはそれなりに危機感があったようでした。


 一方、私は久しぶりに目にする中学受験算数が懐かしく、息子の持ち帰った問題を見せてもらって、親子でエデュコウイークリーの点数争いをするのが楽しみになりました。また、入塾後数週経った頃、齋藤先生に面談して頂いた際に、数回の授業でも子どもをよく見て頂いていることがわかり、「良い塾にご縁があった」と嬉しく思ったことは、今でも鮮明に覚えております。


 五年の秋は金管クラブで朝練も土曜練習もあって多忙の日々が続き、本人が体力的につらそうにしていたので、「エデュコをやめたい?」と聞いたこともありましたが、彼にはもう「エデュコを辞める」という選択肢はありませんでした。エデュコに通うことの楽しさが大変さを上回ったのだと思います。

 ただ、マイペースな息子なので、必死さや焦りは見られず、冬休みや春休みの宿題は、こなしきれずに終わったものもありました。理科や社会は未習部分も多く、唯一読書で培った歴史知識があるのみでした。本来ならここで親が自宅学習を後押しするべきなのでしょうが、私は「自分らしく取り組めるペースで間に合わなければそれまで」と考え、「エデュコの授業を大切に、自ら考える姿勢を学んでくれればいい」と思うようになっていました。


 学校選びについては、通学経路に無理がないこと、そして校風を考えました。本人が気に入った学校については、六年になって受け始めた合不合判定テストで合格圏の判定が出ていたことで、本人は良くも悪くもリラックスしているところがありました。ただ、「もう少し上にも挑戦したい」という気持ちもあったので、チャレンジのつもりで一校加え、最少で三校、不合格の場合の追加出願を数校という受験プランで湯田先生からも賛同頂きました。


 秋になって過去問演習がはじまり、六年前期より自宅でこなす問題数は少ないはずでしたが、直しのために多くの時間が必要で、月曜の算数基礎クラス受講を九月いっぱいでやめ、それでもなお時間的に厳しかったので、十二月と一月だけはテニスを休会することにしました。ただ、その分気分転換にと自宅前でテニスやバドミントンをしたりして、結局勉強時間は大して増えず、周囲から見るとあきれられるような生活だったかと思います。それでも本人が運動後すっきりした表情でいたので、「こんな時間があればあれをやった方が」とは言わずに一緒に楽しみました。「勉強時間が少なくても取り組み方が大切なこと」、「基本を理解するように解くこと」(問題の答えを表面的に直すのではなく、解くプロセスに納得できるように見直すこと)という点では、全般的に律儀にやっていたのではないかと思っています。


 一月受験の本番直前、学校がインフルエンザ流行のために学級閉鎖になり、最終授業を自粛欠席したことが残念でしたが、幸い本人は罹患することもなく、受験本番を迎えました。初回から本人も私も全く緊張しませんでした。私としては、エデュコで学べたことが、結果はどうあれよい経験だったと思えたので、親が変に力ませることなく、本人が平常心で受験できれば良いと考えておりました。息子も毎回試験が終わった後は、いつもの調子で「まぁまぁ楽しめた」、「緊張しなかった」という感想の連続で、この試験問題を解くことを「楽しめた」の言葉だけでも、エデュコで学んだ価値があったと感じられました。後になって、「運動すると算数が調子良かった」、「金管のおかげで集中力がついた」と本人から聞いたときは、マイペース過ぎるように思えた我が家スタイルが、今の息子には合っていたのだと感じました。


 結果としては、受験校全てに合格という出来過ぎの結果でした。最後に受けたチャレンジ校に合格を頂いたことでかえって悩ましい事態となりましたが、エデュコの保護者会でも触れられた「帰属意識」を考えて話し合い、偏差値や進学実績にとらわれず、当初の志望通りの学校を選択しました。(この決断についても「こんな子初めてだ」と湯田先生に言われるのではと、このご報告をする方が、受験日になかったくらいに緊張致しました。)


 エデュコの日々を胸に、息子はテニスを再開し、三月の金管演奏会に向けて練習をしています。学ぶ楽しさと今後に生きる学習法を授けてくださった先生方、いつも温かく対応くださったスタッフの皆様には心より感謝申し上げます。そして、一緒に受験を経験されたエデュコ生の皆さんが、中学で充実した日々を笑顔で過ごされるようお祈りしております。