息子の中学受験を終えて

25期生(2018年卒) 保護者 受験生・母

 二月十一日、入学説明会で中学校の先生方のお話を聞き、一生懸命にノートを取っている息子の姿がありました。入塾当初は板書も写さず、きれいに書かれたクラス生のノートのコピーを毎回持ち帰っていたことを思い返すと、この間の成長には目を見張るものがあります。このような姿勢は、息子がエデュコで培った財産です。


 四年生の五月時には、息子は年の割にあまりに幼く、入会テストの結果は「点数的には問題がないが、集団の歩調に合わせて学習するのは危うい。落ち着きが出てくる五年生ごろからの通塾をすすめます」というものでした。テッカ先生からは「私も初めてなんですよ。体験授業で来た子に『うるさい!』と叱るのは」とのこと。

 しかし、相談のお電話でのバリカン先生のお話しや、体験授業の見学で、すっかりエデュコに惚れ込んでしまった私は、小さくなりながらも「先生のおっしゃること、もっともと存じます。しかしご無理を承知でぜひお願い申し上げます」と希望をお聞きいただき、息子はエデュコ族の第一歩を踏み出すことになりました。


 宿題やノート課題に関しては、いい加減な取り組みの様子によくご指摘を受けていました。そればかりか、入塾当初は他の受講生とのケンカの仲裁まで先生にしていただくなど、本当にご迷惑をおかけしました。幼さは相変わらずでトラブルも多く、私も身の縮む思いを何度もしました。

 それでもアンパン先生に「大丈夫です。子供は成長するんですから」、ET先生に笑いながら「彼の気持ちはよく分かりますけどね」と言っていただき、ホッとしたのを覚えています

  総合回では、順位が十番以上あがったことを示す「努力賞」をたくさんいただきました(ありがとうございました)が、努力していたというよりは、むしろ成績の乱高下によるものだったと解釈しています。


 このような状況でしたが、息子が通塾を嫌がることは全くなく、約三年の間、息子にとってエデュコはまさに「第二の家」でした。家が遠いのと、両親が共にフルタイム勤務のため、学校から直接エデュコに向かわせていただいておりましたが、ノートチェックまでの間に、先生方とお話しする時間が、息子にとっては最高のリラックスタイムだったようです

  休日や長期休みには朝から学童に向かう予定が、無意識にエデュコに足が向き、まだ電気のついていないエデュコの前でようやく気付く、などということが何度もあったようです。また受験直前には自習課題を持って行っておりましたが、集中力の欠けた取り組みに対し、先生方には常に目を光らせていただいていたことが後からわかりました。

 受験日に、駅や受験校前などで激励していただいた折には、先生方のご指示とそれをいっぱいに受け止めようとする息子との間に流れる空気に、いかに先生方が、息子を慈しんで育てて下さったか垣間見ることが出来、胸が熱くなりました。


 中学受験を体験して、息子の良いところや成長をたくさん知る機会を得ました。学校から帰宅してテレビを見ていても、親の「そろそろ勉強したら」との呼びかけには、素直に「あっ、そうだね」と返す子どもでした。また成績に納得がいかず、帰ってきて悔し涙を流しても、数十分後には立ち直り、鼻歌を歌いながら(!)前向きに頑張る子でした。

 通塾開始当初は、十分も机に向かうと辺りをウロウロしていたのが、六年生後半には午前中模試、午後答案練習会、夜には答練ドジ問を解いてケロッとしていました。いつも調子よく「楽勝、楽勝」「俺っててんさーい?」などと言いながら結果はさっぱり・・・だったのに、最後の方では、「俺、地理苦手だ。中国地方のこと忘れてる」と、自分の弱点をさらけ出して努力するようになりました。

 答案練習会での過酷な順位変動に「勝った」「負けた」と騒いでいたのが、最後には「あいつ、最近頑張っているなあ。こいつは国語がいつもすごいなあ。でも、算数では負けないぞ」と、仲間を認めながら自分の立ち位置を測るようになりました。


 親としては、先生方のご指導のおかげで、息子がこのように自身を振り返りながら真摯に努力する体験を得たことで、充分に中学受験の意義を果たせたと思っています。この体験は、これからの息子にとってかけがえのない財産となると確信しています。しかもそのうえ、息子は第一志望校の合格という、思いがけない大きなプレゼントまでいただくことができたのです。


 息子が進学する中学は、テッカ先生からお勧め頂きました。各種テストの結果により、データではじき出された学校から受験校を探っていたところ、息子に向いているとお勧め頂いたのは、四谷大塚の八十%偏差値表で十五ポイントほど上に位置する学校でした。

 テッカ先生は、あっけにとられる私に「気に入らないですか?」と畳みかけられるのですが、文字通り「ワンパクでもいい、タクマシク」育った息子が、この学校の広い敷地、自由な校風、私服、という諸要素を気に入らないはずもありません。また、リベラルアーツ教育を標榜するアカデミックな雰囲気は、親にとっても「夢」の学校でした。

 しかし当然、データを重視するならば無謀すぎる挑戦であり、実際に合不合テストの結果では、合格可能性はほとんどの場合「二十%」でした。それでもテッカ先生は涼しいお顔で「合格率は五十%とみています」とおっしゃっていました。ちなみに第二希望校も、「合格率五十%」とのこと。結果的には、まさにテッカ先生の読み通りでした。


 とはいえ実際の受験時には、一月校で全く合格をいただけず、だんだん弱気になってきて、二月の無謀な挑戦をあきらめて確実に合格できそうな学校の受験にシフトしたい衝動に何度もかられました。受験前に面談を重ね、かなり安全策を練ったつもりでしたが、実際の受験はなかなかスムーズにいかず、一月校受験時は親子とも精神的にとてもきつい時間でした。しかしその都度テッカ先生に相談し、試行錯誤を重ね、戦略を微調整しながら臨みました。第一希望校の合格に喜んだ数時間後、第二希望校の不合格を知り、まさに綱渡り感満載での受験終了となりました。


 エデュコの先生方やお友達のおかげで、息子は約三年間充実した毎日を送ることが出来、希望の未来を自らつかみ取ることが出来ました。現在息子は中断していたヴァイオリンやサッカー、お友達との遊びを再開し、意外に忙しく過ごしています。また、受験勉強で出会った国語の問題文の全文を読みたくなり、今更ながら「エデュコ推薦図書」のプリントを活用しています。今後はエデュコで培った学習習慣を生かしつつ、思いっきり楽しい中学校生活を満喫してほしいと考えています。

 本当にありがとうございました 。