四年間の感謝をこめて

23期生(2016年卒) 保護者  平岡 苗実

 娘がエデュコに入会したのは、三年生のはじめでした。一人っ子で早生まれ。中学受験の坂道を、少しでも緩やかにしてあげたかったからです。いくつか塾を見学した中でエデュコを選んだのは、

「ここなら通ってもいいよ」

と娘が言ったこと。まだ気持ちが幼い娘を預けるにあたり、成績が良い子にも、ふるわない子にも居場所がありそうな塾だと判断したからです。

 当初は、淡々と授業を受けていたようです。五年生になった時、 「最初はお人形さんのようで、心配だった」 と岡村先生に言われたそうです。


 年に一~二回は当たりを出すものの、成績はなかなか上がりませんでした。これは、母親の私が、口うるさく言ったのも一因だったと反省をしています。湯田先生がおっしゃる「放牧スタイル」ではなく、草を口にまで運んで「食べろ食べろ」と圧力をかけてしまいました…。 今にして思えば、六年生になるまでは、総合回テストやエデュコウィークリーに一喜一憂する必要はなかったなぁと感じます。それよりは、基礎を固めることに集中すれば良かったと思います。これは、エデュコの先生方もよくおっしゃっていることですが……。目の前に結果が出てしまうと、必要以上に左右されてしまいました。


 六年生の後期には、

「算数完成での表情が暗くて、心配です」

というご連絡を頂くようになってしまいました。六年生の十二月中旬、湯田先生・夫・私の三人で、三時間近い面談をしました。私はそこで、自分の三十年前の価値観を、娘に押し付けようとしていたことが、娘と自分自身を追いこんでいたことに気付きました。とことん話し合いにおつき合い頂いた湯田先生には、深く感謝しております。そして、私よりもずっと広い視野で娘の成長を考えていてくれたんだなと夫を少し見直しました。そこからは、余計な力が抜け、受験の自然な流れに乗って行きました。


 受験校を選ぶ際、親子の意見が二点分かれました。娘の主張は、一月校でひとつでいいから合格が欲しいということ、第二志望は恵泉女学園にしたいということでした。第一志望については、親子で意見が一致していました。恵泉は何度も足を運び、とても共感した学校ですが、通学時間と乗り換えから、親としてはためらいがありました。しかし娘の気持ちと、 「伸びやかな環境に置いてあげた方が、良いパフォーマンスをするお子さんだと思いますよ」 という湯田先生のアドバイスもあり、受験を決めました。結局、娘の二つの要望に応じたことが、納得の結果を導いてくれたと思います。一月校の合格は、安心感と自信を生み、好きな学校を受験するということが、娘のモチベーションを高めてくれたのです。


<一月十二日>

 一月校の「合格」をパソコンで見た瞬間、

「これでエデュコの張り紙に名前がのるね」

と娘が言いました。この子が最初に思うのはそこなんだ……と胸に迫りました。


<一月三十一日>

 持って帰った、たくさんの激励のお菓子を見て、

「いい塾だったんだね」

と夫がつぶやきました。夫が「ビリギャル」を「ビリギャロ」と言い間違えたのがおかしいと、娘は笑い転げていました。私は娘の様子を見て、なんだか良い結果につながりそうな予感がしていました。


<二月三日>

 第一志望への希望が断たれ、一番苦しい夜でした。

「合格は内! 不合格は外!」

と家族で豆まきをしました。


<二月四日>

 すべての試験が終わりました。帰りの電車の中で

「受験は意外に楽しかったよ。私、まだ受けたいくらい」

と娘。親は気力の限界なのに……。今日の結果が残念であっても、娘のこの言葉を聞けただけで、受験をしたかいがあったかなと思いました。不合格が続いても、笑顔で試験会場に消えて行った後姿を思いました。いつの間にかたくましくなっていた我が子を感じられたことが、受験の一番の収穫かもしれません。

 夕方、パソコンで番号を見つけた瞬間、娘は泣き出しました。一か月近い受験期間中、初めての涙でした。そして、ふるえる手でエデュコの電話番号を押していました。


 エデュコへ向かう時の娘は、いつも走っていました。エデュコウィークリーで最低点だった時も、成績が下降の一途をたどっていた時も。それは、どんな時でも、信頼できる先生がいらっしゃって、励まし合える友だちがいたからだと思います。

 小学校でも、担任の先生は長くても二年間です。四年間、じっくり同じ先生に見て頂けたのは、親子とも安心感がありました。偏差値だけではなく、ノートの様子、子どもの表情など、総合的に見て下さっていたのも、心強かったです。私は、今にして思えば恥ずかしいようなことまで、質問し相談しました。どんなことにもしっかり答えを頂き、受験直前には迷いがありませんでした。


 入会後に知ったのですが、ずっとお世話になっている、娘の英語教室の先生のお子さんも、エデュコ生だったそうです。今では二十歳を過ぎ、年に何回かは、エデュコ生で居酒屋に繰り出すそうです。そして、内山先生や岡村先生の話で盛り上がるそうです。娘にも、いつかそんな日がくることを願っております。


 湯田先生、内山先生、岡村先生、大友先生には特にお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

 今後のエデュコ生のご健闘と、熱き先生方のご健康と益々のご活躍を心よりお祈り申し上げます。