兄妹の中学受験を振り返って

22期生(2015年卒) 保護者 父

 長男(十八期生)、長女(二十二期生)と兄妹でエデュコにお世話になりました。

 長男が四年生になる春に六ヵ所の塾の説明会を回りましたが、通塾は便利ではないものの、内山先生の楽しい体験授業、良心的なシステム、そして何よりも先生方との距離が近く大手塾にはないアットホームな雰囲気に魅力を感じてエデュコに決めたことを、今でもよく覚えています。

 そして、長男も長女も、最後まで楽しく通塾し、家庭では落ち込んだりわめき散らすことはあっても、塾に行きたくないと言ったことは一度もありませんでした。小学生が通う塾ですから、楽しくなければやり通すことはできません。それだけでも我が家の中学受験は成功と言ってもいいかもしれません。

 そのようにわが子の充実した受験生活を支えていただいた、エデュコの先生方への感謝の気持ちと、これから受験をされる皆さんに少しでも参考になればと思い、体験談を寄稿させていただきました。


 長男は、日頃のテストでも合不合テストでも過去問でも、だいたい安定した成績でしたが、長女は、五年生になっても、志望校判定テストでDを連発したかと思うと総合回テストで親もびっくりの好成績を取ったり、これからどうなるのかと落ち着かない存在でした。それでも、六年生の夏まで少年野球を続けて学校でもよく遊び、なかなか勉強に集中しなかった長男と比べると、早くからテストの見直しひとつにも手を抜かない集中力を発揮していました。長男が高校受験を迎えると、自然と父親は長男の担当となり、五年生だった長女は妻に任せっきりでしたが、六年生になってようやく落ち着いて長女を眺めてみたら、当初ぎこちなく思えた算数も、解法にこだわるしっかりした学習態度が定着していて、驚かされました。


 そんな彼女の最大の敵は、自身の体調だったと思います。もともと胃腸が丈夫ではなかったのですが、六年生の梅雨時には胃腸炎で一週間の入院を経験しました。運動不足も原因かと思いましたが、五年生までのようにいつも外で体を動かしてという訳にもいかず、それからの生活は、食べ物に気をつけるのはもちろんのこと、無理せずしっかり睡眠を取り体調を整えることが大前提となりました。ところが、集中力はあるものの効率的にこなす器用さは持ち合わせておらず、時間内にできる範囲をやるしかないといくら言っても、塾で教えられたやり方を時間をかけて愚直に実践するというのが彼女のスタイルです。算数に至っては、過去問題集の解法に納得せず、私のやり方のほうがいいはずだと大騒ぎしながらいつまでも解き続ける姿に、半ば呆れ、半ば感心し、昔の自分に似ていることを思い出して苦笑したこともありました。ただ、そういう状態でも無理はできませんから、夏場を過ぎて過去問の時期になっても、一週間で一年分できるかできないかのペースが続くことになりました。


 私は、学習計画を作ることなどはありましたが、基本的には土日の付き合いでしかありません。体調に気を使い、毎日進捗をチェックして優先順位を付けながら粘り強く取り組むのは、本人と妻の二人三脚です。この時期はまだ志望校の絞り込みに確信が持てなかったこともあり、気持ちが落ち着かず辛かったと思います。特に、第一志望校は苦手の国語に特徴があり、理科なども文章を読む力が求められる難関校で、しばらくは過去問でまともな点数が取れない状況が続きました。当然、親としてはこのまま第一志望校の対策に時間を使って大丈夫なのか?ということになります。次順位の志望校群も親としては十分に魅力的でしたから、むしろそちらに力を向けたいという気持ちで湯田先生や岡村先生に相談したのもこの頃です。抑えの学校も含めて志望を落とそうかと迷走することもあり、「そんな心配は要らない、本人に失礼ですよ」という岡村先生の言葉は、正に金言だったと思い出されます。


 そうした中で、何とか国語が形になった要因の一つは、鷗友の過去問に取り組んだことだったと思います。この学校の国語は、大人でも理解できないような微妙な違いで記号を選ばせるがごとき設問は一切なく、ほぼ全問記述式、文意を正しく読み取って適切に表現する力を見る正攻法の良問です(と私は思っています)。もともと親はとても気に入っていた学校で、体調に不安のある長女には距離的に難しいと敬遠していたのですが、十一月になって遅まきながら志望校に加えて対策を始めたのです。これに関しては意図的に集中的に取り組ませましたが、初めは半分も取れない状態のものが、繰り返すうちに徐々にしっかりするようになり、本人も手応えを感じて進んでやりたがるようになりました。ところで、当たり前のことかもしれませんが、「本人が手応えを感じる」ということは、単純に点数が届くかどうか以上に過去問を通して見極めるべきことです。長女の場合、結果の出なかった学校は最後までこの「手応え」が得られませんでした。


 算数は終始ポイントゲッターでした。国語と違い親は太刀打ちできませんから、今でも数学だけは得意な長男ともども、内山先生・湯田先生の指導にひたすら感謝です。ただ、勘違い・計算間違いがなかなか減らないこともあり、毎日必ず問題に接して勘が鈍ることだけはないように心掛けました。また、十二月頃からは空いた時間でドジ問をつぶしていったことが安定につながったと思います。


 いよいよ受験が始まり、一月は欲しかった結果は出せなかったのですが、最後にあえて抑えの幅を広げるために受けた難しめの学校で、きっちり結果が出たことがポイントでした。合格校確保の安心感以上に、このレベルで結果を出したという事実が何よりの自信になり、落ち着いて二月の準備に臨むことができました。失敗すると逆の効果もあり得ますからこれを受けるかどうかは少し考えましたが、結果としては非常によかったと思います。

 受験前の最後の二週間は、ここに来て少し雰囲気が変わったかと感じさせるものがありました。国語の過去問のやり残しに取り組んで感覚を高め、成績に波があった理科の知識をまとめようと、大友先生を頼りに何度も質問に行ったのは、いずれも本人の意思によるものですが、親が見ても的を得ていて、顔つきまで少し大人に見えたものです。


 そうして迎えた二月一日は、正直なところ励ます側の親が心のうちでは不安ばかりでしたが、本人はうまく気持ちを持って行き、全力を出し切ることができたようです。まだまだ幼いと思っていた娘が、大事な正念場で発揮した底力でした。四日まであると両親は覚悟していましたから、不意に訪れた最高の結末に心が震えました。 第一志望校は、過去問の状況も芳しくなく、情報収集の目的もあって大手塾の志望校別オープン模試も試してみましたが、結果は、営業熱心と言われるこの塾から勧誘されることさえないようなものでした。(余談ですが、結果は別にして在校生からの「今なら未来を変えられる!4月に待っています」というメッセージカードには励まされました。)

 そんな状態でも受験校を変えなかったのは、湯田先生はじめエデュコの先生方の励ましと、日頃の本人の努力を信じてのことでしたが、合格を得ることを求めるならば本当に正しい選択であったのか、わかりません。一つ言えることは、本人にとって、理想をあきらめずに最後まで努力を続けたことこそが何よりの財産ですし、思えば今までの人生で冒険はしないタイプだった両親にとっても、一生経験できない望外の体験になりました。


 最後に振り返って、我が家では、塾と家庭の相互補完がとても上手く行ったと思います。長女は、塾では淡々とした子供に見えたかもしれませんが、家庭では上手く行かずに騒いでふくれているのが日常でしたから、精神面は母親が寄り添うことが支えになりました(長男に至っては、塾でも騒いでふくれていたようです)。一方、国語に苦しんだ長女は、過去問では五十点を超えると岡村先生が見てくれないと言い、低めに自己採点してまで持ち込んでいたように、先生方への信頼はとても強いものでした。採点の調整は見透かされていたようですが・・・。

 概して学習面は、親が何を言っても、一度先生に言われたことを頑として曲げない面があり、それ自体は困りものでしたが、結果的にバランスよくゴールまで走り続けることにつながりました。精神的に発展途上の子供が取り組むこの長丁場のイベントは、湯田先生のメッセージにも掲げられていますように、「エデュコスタッフと保護者との共通理解が前提」であり、本人を加えた三者間の信頼関係こそ、最も大切なものだったと実感しています。


 六年間、本当にありがとうございました。末筆ながら、今後のエデュコの益々のご発展と、先生方、スタッフの皆さんのご活躍を心よりお祈り申し上げます。